猫と畑のある暮らしを続けている私ですが、もともと自分で野菜を育てるという発想はありませんでした。母がずっと家庭菜園をしていたので、畑そのものは身近な存在ではありましたが、それを「自分がやること」として考えたことが、一度もなかっただけなのです。
今日は、私がなぜ家庭菜園を始めたのか、その理由を書いておこうと思います。
母の畑と、営業だった私
子どもの頃、母はナスやきゅうり、ピーマンといった定番の夏野菜を育てていました。季節ごとに旬のものを家族においしく食べさせたくて、料理上手な母が仕事の合間に世話をしていたのだと思います。旬の野菜が食卓に並ぶのは、我が家では当たり前の風景でした。
その頃の私は、まさか自分が畑をやるとは思っていませんでした。大人になった私は、大手の電子機器メーカーで営業として勤務し、毎日当たり前のように仕事をこなし、ときには頭を下げることもありました。そんな日々を繰り返すうちに、仕事を「楽しい」と思えなくなっていたのです。モチベーションを上げることも、保つことも、苦痛でたまらない。もっと夢中になれる仕事がしたい。純粋に、仕事を楽しみたい。心のどこかで、いつもそう思っていました。
食べることは、生きること
きっかけは、コロナ禍中です。在宅で働く時間が増え、健康にもとても敏感になっていた頃です。
もともと私は食育に興味があり、ナチュラルフードコーディネーターの資格を持っていました。自分で野菜を作れば、この資格を活かせるかもしれない。そう思ったのが始まりです。食べることは、自分の体を作るということに直結します。だからこそ大切にしたい。今でも、強くそう思っています。母が畑で家族の食卓を支えていたことを、このとき初めて自分ごととして思い出したのかもしれません。
最初はフィレンツェナス
周りの人と同じものを作っても面白くない。そう思っていた私が最初に選んだのは、「世界一おいしいナス」と言われるフィレンツェナスという西洋野菜でした。
育て方の参考になる情報はほとんどなく、日本のナスと同じやり方で育ててみました。種をまいて発芽させるところから始めるのは、子どもの頃の朝顔の観察日記以来です。発芽率を考えて多めにまいたところ、予想以上に芽が出てしまいました。
小さな種から、たくさんの新芽が土を持ち上げて顔を出していました。こんな小さな種にも、力強い命があるんだ。そう感動したのを覚えています。同時に、私にもできる、という自信にもなりました。ただ現実は、初年度からいきなり100株ほどの苗を植えることになり、収穫がまったく追いつかず、せっかくの実をロスにしてしまいましたが。


口に入れたら、とろけた
収穫したフィレンツェナスは、切ってみると断面が真っ白で、青臭さもありませんでした。
2〜3センチの厚めに切って、オリーブオイルで両面をこんがり焼き、塩こしょうでいただきます。皮がひっかかることもなく、口に入れた瞬間にとろけてしまう食感でした。今まで食べてきたナスとは、比べものになりません。
あまりにおいしかったので、ご近所さんや、地元の大きな農家さんにもお裾分けをしました。珍しい西洋野菜を育てていることに、みなさん驚いていました。そして、私が純粋に農業を楽しんでいることを、一緒に喜んでくれたのです。自分が種から育てた野菜を、こんなに喜んで食べてくれる人がいる。それがただ幸せで、だから細く長く続けてこられたのだと思います。
頑張らない畑でいい
ひと昔前の農業とは違って、今は私のように「頑張らない」スタイルで始めることができます。
無理に毎日やろうとしない。完璧にやろうとしない。素人だから、失敗しても当たり前。自分が作りたいものだけを作る。作る楽しみと、食べる楽しみと、人から感謝される喜び。この3つが手に入るので、あのとき畑を始めて本当によかったと思っています。
自分の体に入るものを、自分で作る。私はこれを、究極のクリエイティブな仕事だと思っています。面白くて仕方がないのです。
もし今、かつての私のように何かに行き詰まっているなら、まずは一株、育ててみるのもいいかもしれません。うまくいかなくても大丈夫です。私も、母の畑を思い出しながら、そうやって始めました。

