動物が教えてくれたこと

ねことの暮らし 暮らし

(この記事は後編です。まだの方は前編「動物が私を選んだ日」からどうぞ。)

前編では、チョボや小梅が、自分からうちに来てくれた話を書きました。では、なぜこの家に動物が集まるのか。はっきりした答えは分かりませんが、私なりに感じていることをお話しします。

猫は、ちゃんと聞いている

我が家では、猫にも人間と同じように話しかけます。家族の一員なので、日常的によく会話をします。もちろん人間の言葉ですが、猫のほうも、返事をしたり、何かを訴えるように鳴いて応えてくれます。

猫が人の声を聞き分けていることは、研究でも少しずつ分かってきています。以前から、猫は飼い主の声を、ほかの人の声と聞き分けられることが示されていました。さらに2019年には、上智大学の齋藤慈子さんらの研究で、猫が自分の名前を、ほかの言葉と聞き分けていることも明らかになりました(Scientific Reports)。

その返事が、私の思ったとおりの意味かどうかは分かりません。それでも、猫と暮らす人たちは、科学が証明するずっと前から、自然と猫との信頼関係を築いてきたのだと思います。名前を呼べば、ちゃんと聞いている。その小さな積み重ねが、信頼になっていくのだと感じています。

隣のヒジキが来る理由

我が家の隣には、兄の家族が住んでいます。その家の猫のヒジキが、毎日と言っていいほど、うちに遊びに来ます。

私にはヒジキが、うちの7匹を「羨ましい」と思っているように見えるのです。理由は単純で、我が家では猫を無視しません。一匹一匹に興味を持って、ちゃんと話しかけ、その返事に耳を傾けます。ヒジキは、その様子をどこかで見ているのかもしれません。

猫は、自分に向けられた関心を感じ取り、猫界で自慢し合っているのかもしれません(笑)。だからヒジキも家に寄ってくるのかな、と思っています。

我が家に遊びに来る隣の猫、ヒジキ

猫が感じている、何か

猫は昔から、不思議な存在として語られてきました。日本では神様の使いとして紹介する書物もありますし、中国をはじめ他の国でも、猫は神話とよく結びついています。「猫が集まる家は栄える」「商売繁盛」「神社で猫を見ると縁起がいい」——そんな言い伝えも、その一つです。

私は特別、縁起を意識しているわけではありません。ただ、人間には見えないものが猫には見えたり、感じられたりする、という話を聞いたことがあります。だからこの子たちも、何かを感じて、うちに集まってきたのかな。そう思うようにしています。(あくまで、私の受け止め方です。)

動物たちが教えてくれたこと

こんなにたくさんの猫と暮らすのは、初めてのことです。しかもみんな、ペットショップではなく「保護猫」という形で縁が生まれた子たちです。

そのぶん、私は動物保護のことに敏感になりました。保護団体に寄付をしたり、障害のある子を見かけては、何もできない自分に落ち込んだり。同時に、うちの子たちが元気でいてくれることに、深く感謝するようになりました。自分が元気に働いて、この子たちを守っていく。そんな責任感も芽生えました。

当たり前のことに感謝する。人間だけの暮らしでは気づきにくかったその気持ちが、猫たちのおかげで、ずっと強くなったと思います。

私について

自分に優しく生きる

そして、体調を崩したことも重なって、私は「自分のことは、自分が一番優しくする」と心がけるようになりました。心も体も元気でいることが、いちばん楽しくて幸せなことだと、今は強く思っています。

目の前に起こることは、理由もなくやってくるのではなく、何かしら意味があるのかもしれない。そう思えると、うれしいときは素直に喜び、苦しいときは泣いても、悔しがってもいい。頑張りたいなら頑張ればいいし、辛くてやめたいなら、無理をせずやめればいい。そんなふうに思えるようになりました。

だから私は今、「やりたくないことはやらない」「やりたいと思ったから始める」を選んでいます。素直になってから、毎日が充実していて、心も体も落ち着いています。

動物たちがうちに来てくれた理由は、今もはっきりとは分かりません。それでも、この子たちがそばにいてくれるから、私は今日も穏やかに過ごせています。それだけで、十分な気がしています。

※参考:齋藤慈子ほか(2019)「Domestic cats (Felis catus) discriminate their names from other words」Scientific Reports/上智大学